生命科学の歴史は、「生きているとは何か」という根源的な問いに迫るために、目に見えるものから見えないものへと歩み続けてきました。顕微鏡の発明が細胞の存在を明らかにし、分子生物学がDNAの構造を解き明かしたように、生命を理解するための道具は、常に科学の最前線を切り拓いてきました。私たちの研究室では、いま、その最前線が量子の世界にまで広がっています。ナノスケールの計測技術を通じて、生命現象の本質に迫る新たな視点を提案しています。

(1)世界最小かつ極限感度のセンサーをつくる
私たちの研究室では、ナノメートルサイズのダイヤモンドの中にある"量子"の性質を使って、世界でもっとも小さく、もっとも高感度なセンサーをつくっています。センサーの心臓部には「NVセンター」と呼ばれる特殊な構造があり、スピンがまるで小さなコンパスのように振る舞い、温度や磁場、電場、さらには化学反応まで感じ取ることができます。これは、光と量子スピンの相互作用を絶妙に操ることで可能になる技術です。生命の中にある目に見えない世界を可視化するこのセンサーは、まさに生命現象を探る"量子の目"です。これを応用すれば、今まで不可能だった生体内の極小環境をリアルタイムで計測できます。私たちの手にしたセンサーは、たとえば1個の細胞の中にある、ほんのわずかな変化さえも見逃さず捉える力があるのです。

(2)生命現象に迫る量子の"使い方"をデザインする
センサーが高性能であるだけでは、生命の謎に迫ることはできません。重要なのは、「何を、どのように、どんな原理で測るのか」という量子の"使い方"をデザインすることです。私たちは、量子センサーが捉える微弱な信号を正しく解釈し、意味のある情報へと変換するための方法論を開発しています。たとえば、生体ノイズの中から目的の信号だけを抽出する工夫、特定の分子にだけ反応する表面修飾、さらには時間と空間の分解能を高める測定アルゴリズムの設計など。これらの技術は、量子センシングを単なる計測手段から"生命現象を探求するための地図"へと進化させます。私たちが目指すのは、量子の力をどう使えば、従来の技術では見落とされてきた微細な生命の変化に新しい光を当てられるのかという、新しい計測の哲学そのものです。

(3)今まで手が届かなかった生命の深層に迫る
生命とは何か──この問いに挑むには、目に見える現象の表層だけでなく、細胞の奥深く、ミクロな環境で静かに進行する変化に目を向けなければなりません。私たちは、ナノサイズの量子センサーと独自のセンシング技術を駆使し、生きた細胞の中で起こる温度やpH、粘度、酸化還元状態など、従来では測定が困難だった微細な変化を定量的にとらえることに挑んでいます。これらの変化は、細胞の状態や振る舞い、さらには病気のごく初期段階に現れる兆候と深く関わっています。私たちの目指すのは、これまで科学が見過ごしてきた生命の"静かなささやき"に耳を傾け、"かすかな兆し"に目を凝らすことで、未知の生命現象を解き明かすこと。その先には、生命をより深く理解するための新たな視座が開けると確信しています。

(4)まだ姿を現さない病の兆しをとらえる
病はある日突然、姿を現すわけではありません。ほんのわずかな変化が、体の奥深くで静かに始まり、やがて兆しとなって表れる──私たちは、その最初の"ささやき"を聴き取ろうとしています。ナノサイズの量子センサーを利用して、血液や体液の中にごくわずかに現れる異変のサインを、世界最高レベルの感度でとらえることに挑んでいます。たとえば、アルツハイマー病やがんなど、早期発見が難しい病気であっても、その兆候は目に見えぬほどわずかな生体分子としてひそかに姿を現します。私たちは、その微かな変化を敏感にとらえ、ノイズの彼方からその兆しをとらえようとしています。古典技術では、その存在にすら気づくことができなかった病の兆候が、量子センサーによってようやくとらえられるようになってきました。私たちが目指すのは、これを限られた専門家だけでなく、誰もがアクセスできる診断のかたちで臨床に届けることです。病が姿を現す前に、その兆しに気づき、先んじて制する──そんな新しい医療のかたちを実現するために、私たちはその診断基盤の構築に向けた研究を続けています。
私たちの研究室では、目には見えないほど小さな"量子のセンサー"を使って、生命の中にひそむ微かな変化や、まだ誰も気づいていない病の兆しを見つけ出そうとしています。まるで量子の虫めがねで世界を拡大して観察するように、細胞の奥をのぞき込み、生命の謎に新しい光をあてる──それが、量子センシング技術を使った生命科学研究の面白さであると考えています。
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